煙と炭焼き
思い込みとは面白いものである。
先日、出張の道中に息を呑む美しい光景を見た。時刻は朝の7時前。朝霧が町を包み込み、それを橙色の朝日が照らしていた。私は無意識に炭焼き小屋を探していた。朝霧を炭焼きの煙と勘違いしたのだ。煙があるということは炭を焼いているということだ、と思い込んでいるらしい。
私が住んでいる室戸市は、備長炭の製炭が盛んな地域である。山間部に行けば必ずと言ってよいほど、どこかの小屋から煙が上がり、炭焼き特有のツンと鼻を刺す煙の匂いを感じる。そのせいで、煙を見たり匂いを感じたりすると、炭窯を連想するようになったのだ。
しかし、思い返すと数年前は全く違った。煙といえば「芋煮」であった。私が3年前まで住んでいた仙台では、秋になると仲間同士で河原に集まり、里芋を使った鍋料理を囲む習慣がある。これに参加すると体中に煙の匂いが染み付き、数日間は取れない。仲間内では「芋煮臭」と呼んでいたが、煙の匂いを嗅ぐと芋煮の記憶が蘇るのが常であった。 私の頭は、この数年で煙を炭窯の記憶と結びつけるように書き換えたようだ。室戸の人間になったなと、少し嬉しい気分だ。